Introduction

2007年冬、彼の姿はいつもとは違う場所にあった。

もともと僕が知る彼は、ミュージシャンであり、歌唄いを生業にしていたはずなのだが、
ある側面においては、役者であり、声優でありと、あらゆるシーンにおいて、自己表現を完遂することができる絵に描いたようなマルチアーティストでもあった。

Capter 1

東京 六本木 ――

彼は役者として舞台に上がっていた。

いつもならば、颯爽と現れてステージの上で嵐のように暴れ、客席にいる人々の心を語らずとも一瞬にして奪い去っていく彼は、お芝居のほうのステージが終わった後は、
一般のお客さんが行き交うロビーで屈託のない笑顔と、大よその人々が思うミュージシャン像では想像できないほどの腰の低さで、彼にを目当てにやってくるゲストたちと止め処ない会話を楽しんでいるようあった。

横目ながら、僕の姿を見つけた彼は一度目配せをしすると、またゲストへ向けてクシャッと微笑むのであった。

30代を目前に控えながらもデビュー当時と変わらぬ、少年かとも思う笑みを浮かべ、誰とでも対等に話をするのは、日頃ファンとの距離感を大切にする彼の優しさから成るものだろうと思う。

どういうわけか今でも、彼を思うたび、歌っている姿よりも、向かい合っている姿よりも、このクシャッと微笑む横顔を思い浮かべてしまう。
それほどまでに、この笑顔は日常的で且つ、特別なものなのだ。

2007年も年の瀬に差しかかかった頃、僕は馴染みの店で彼と偶然にも再会することとなる。

今となって思えば、あの時の出会いが僕の今日までを変えることにもなったのだと、今更ながらもあの頃を思い出すと沸々とこみ上げるものがある。

この時、キンヤ(KINYA)と名乗っていた彼は、既にアーティスト名の再改名について思い悩んでおり、僕は彼のファンよりも少し早く改名についての全貌を耳にすることになる。

 

コタニキンヤとして活動し、不動の伝説を築いた黄金期から数年。

レコード会社の消滅、移籍からのアーティスト名 キンヤ(KINYA)への変更。

「コタニキンヤ」と言われれば、ラジカセを持って各地を回っていた少年の姿が思い出される。
「キンヤ」と言われれば、世間からNHKのTVアニメの主題歌を歌っていた人という認識をされるのだが...

コタニキンヤ=キンヤとはイマイチ認識されていない。

そんな不遇の事態に彼は1人思い悩んでいるのであった。

「改めてコタニキンヤを名乗ることにする。でも、名前に一字足りないんだ・・・。」
「どういうこと?」

「デビュー当時から姓名判断をするとよく言われていたんだけど、コタニキンヤという文字要素には字画的に1画足りないらしいんだ」
「じゃあ"☆"をつける?」

「それじゃあ、別のミュージシャンみたいじゃない?」

実のあるようで実のない、まるで予てからの友人と交わしているような会話は、その後、深夜まで続き、僕たちはその日、互いに連絡先を交換し岐路につくこととなった。
僕にとって憧れの人でもあった彼との時間は、とても長く、ただの何気なない会話でさえ特別なものであったし、ただの一言でさえ彼のパワーにあてられ勇気づけられた。

Capter 2

翌年、1月26日。
僕は急遽思い立ち、北海道へ旅立った。

コタニキンヤ・デビュー8周年ライブ。

彼の8周年記念ライブは、彼の第2の故郷である北海道で行われ、雪が降り積もる北の大地は昔と変わらずファンからの声援で大熱気で包まれたのだった。

そしてこの日、満を持して発売されたニューシングル「BEST POSITION!!!」は所属事務所ではない彼のプライベートオフィス・プライベートブランドからのリリースだったのだが、
そこに詰まっていたのは過去との決別と、未来への大きな希望どちらのほうが大きいものだったのだろうか。
その答えはその頃は何も知らず、ただのファンとして公演を見届けた。

"所属事務所を離れ、独立を果たす"

中堅ミュージシャンの登竜門的な決断は乗り越えてしまえば思い出話となるが、この時の彼にしてみれば一大決心で、
ようやくリリースすることができた自作のシングルと、8年目のファンからの変わらない思いを受けこの夜、彼は、新たな1歩を踏み出すための決断をすることとなる。

月日は流れ、2008年はまた冬を迎える。

これは私事だなのだが、当時惰性だけで生きていた僕はただ漠然と将来に対する不安を描いていた。
元々、自分の心の管理をするのは苦手で、何か「事」が起こるたびに、自分のことを悲観的に思い、僕はこの"右に習え"な、生活から脱却する術を毎日考え続けていたのだ。

そんな時に決まって非日常を与えてくれるのは彼からの連絡だった。

立場からか、連絡する手段を持っても僕から彼に連絡をすることはほとんどない。
しかし、度々連絡をくれる彼の声に僕は救われていた。

そして幾度目かの彼からの着信が僕の心を突き動かす。

「ちょっと話がしたいんだ。次の休日、新宿で会わないか?」

そんな彼の言葉に少し胸が躍ってしまう。
それは、僕が欲しかった"右に習え"な生活ではない未知の領域であると、何かが告げる。

でも未知の知らせは僕の予想を遥かに超えていたのだった。

「名前変えて独立するから、お前にも協力してもらうと思ってるから。」

それは
未だ体験したことがない僕の"非日常"の始まりなのであった ――

Capter 3

「プロジェクトは突如として生まれ、放たれる」

名前に一字加える。
「コタニキンヤ"."」(こたにきんやどっと)それが新しい彼の名前であった。

12月31日23時45分、僕はホームページの更新のタイミングを窺っていた。
思えば先の出会いから僅か1ヵ月あまりのことであったが、事態は大きく進展を迎えていた。

 

あの日、新宿で出会った僕たちの初めての仕事は漫画喫茶で、新ホームページのドメインを登録するという内容であった。

今考えると、この時の"お互い"の焦りや緊張は誰かに見聞きされてしまうのではないかと思うほど、今の僕たちにとっては小恥ずかしいことだったのだが・・・
いざドメイン登録を終えて、簡単な設定をしたのだが、なぜかその日、初期ページの登録はうまくいかなかったことを痛烈に覚えている。

それと並行して、ただただ、あの時の彼の言葉が僕の脳裏に鮮明に焼きつき、今でもつい最近の事だったかのように蘇り再生されるのだ。

「ここから伝説がはじまるんだな。」

2009年元旦、0時7分 kotanikinya.netが仮オープンを迎える。

僕たちの伝説は漫画喫茶のペアシートからのスタートであった ――

 

この伝説は今日もまた続いている。

いつか、伝説と呼ばれる日まで。


Capter 4

2009年、「会場限定発売シングルリリース」は困難を極めた。

これらの企画CDリリースはライブツアー会場ごとに1作品づつ発表、当日リリースされたのだが、
音楽シーンにおけるCD需要は低下する一方、多くのミュージシャンが各方面での配信事業と契約をしはじめる世で時代の流れとは逆行し、ジャケットや歌詞カード、中に含まれるアーティスト写真までをその世界観を表す作品とし、円盤であることにこだわりをもってCD-Rを手焼きしリリースをした。

作品の制作をキンヤ.バンドとして、古くから彼をサポートする仲間たちに依頼し、CD制作は敢行された。

時には土日に別公演をするツアーでは、ひと時の休憩もないままにCDの管理、制作、諸業務を3,4つ抱える事態にもなり、
販売制作管理を含め本人を含めこのプロジェクトは夜な夜な手作業での作業が続いた。

時にはそれは信じられないようなミスもあり、バックボーンで彼を支えるスタッフは連日ピリピリしていたのだが、
彼をサポートするメンバーから送られた今回のリリース楽曲は達は、そんな裏事情もつゆ知らず、ツアーを重ねる度に日々成長を繰り返していた。

都度、制作過程で聞かされた曲たちが幾度となく形を変えてリリースされる。

中高生の頃に発売前日に手に入れたCDをプレイヤーに入れて聞いていた感覚とはまた別の感覚だ。

しかし、リリース日を迎えて一人になって自室で皆と同じように聞く楽曲たちは、あの頃と形を変えず、時代や立場が変わっても同じ気持ちのようにそれを感じる事が出来る。

inheritを聞いて自然にリズムを刻みたくなる。

そんな時、ふと僕は純粋に彼の声が好きなのだと思う。

2010年2月11日 「彩-IRO-」リリース。
あの時、集大成を迎え有終の美を飾ったアルバムのリリースは,まだ彼を語る物語の一つでしかなかったのだった。

Capter 5

彩-IRO-の発売から数か月過ぎ、僕たちのプロジェクトは軌道にのり、ある程度安定しながら進んでいた。
物語は一つの終焉を迎え、そして、僕はまた新たな思考を巡らせ心が逸らせた。

そんな時はまた、決まって彼からの"非日常"の誘いがあるのだ。

「伊藤さんのライブにゲスト出演することになった...」

彼が言う伊藤氏とは彼をメジャーデビューに導いた人、伊藤 賢一氏のことだ。
電話口の彼から溢れる言葉の1つづつが伊藤氏との共演を心待ちにし歓喜を見舞う声であった。

数年の時を経て、かつてはDAファミリーと呼ばれ、一つの家族であった彼らが同じステージを共有することとなる。
心からその共演を熱望していたのは他でもなく、彼自身であった。

当日、ステージでは2人の姿に沢山の往年のファンが集い、時に笑い、関心する。

しかし、彼らの演奏が始めると客席やバックステージでさえも皆が一斉に息をのみ、目を見開いたのだった。

客席からの鳴り止まぬ歓声...とバックステージでモニター越しに会場を見ていたミュージシャンの一人が

「本物のボーカリストってこうなんだな...」とつぶやいた。

僕は"でしょ?"って思う。

この瞬間が最高に誇らしい気分になれる。
僕が知っている彼は"ステージの上で嵐のように暴れ、客席にいる人々の心を語らずとも一瞬にして奪い去っていく"のだ。

その日を境に彼らの交流は次第に増えていき、コタニキンヤ.のライブに伊藤氏がサポートギタリストとして参加する機会が多くできた。

都度、打ち上げの席では彼から伊藤氏へ、実しやかに「伊藤賢一プロデュースCD」への夢が語られていたのだが…、あとになって聞くと夢を語ったわけではなく、彼は制作依頼のアプローチだったという。

ずいぶん下手な制作依頼だなぁ、とは思っていたが、その日から時間が過ぎるたびに伊藤氏からの連絡が来ない来ないと不安を逸らせる彼に
一度正式に電話をしてみたら? と僕は言う。

「伊藤さんれいのCDの締め切りは***日になりましたよ」
「え!?ホントに作るの!?」

やっぱり伝わっていなかったようだった。

それでも、しょうがねぇな~と言って伊藤氏が曲が作り始め、彼が歌う。

そこには昔からあったプロデュースする側、される側の立場は薄れ、1ボーカリストと1ギタリストの作品が出来上がっていた。

 

2010年11月27日 「Continuation」リリース。
古くからのファンはその姿を懐かしいと感じ、新しいファンはそれを新鮮なものとして受け入れられた。

 

「俺がもう一度、羽ばたくことが出来るのは伊藤さんの楽曲かもしれないな...」なんて、彼は言う。

彼らが製作過程で感じたパワーは、今まで本人たちにも未だ体感したことのないものだったのだ。

今は

只。おおよそ。不確かに。

そのパワーの存在と、引力に彼らは導かれていくのであった。

 

Capter 6

2011年 プロジェクトは大きな過渡期に見舞われる。

彼はソロ活動と同時にバンド活動を並行しはじめた。

「バンドを組むのが夢だったんだ」

いつもの少年のような顔で彼がクシャっと笑う。

バンド活動は1年目。
できる限り、自分たちのことは自分たちでやろうというコンセプトを定義し、彼らはどんどん新しい可能性へ立ち向かっていく。

"僕は彼をサポート出来ているのだろうか?"
人抹の不安がよぎる。

バンドの方向性が定まり、彼らは自分たちの力で扉を開け進んでゆく。
本来であれば、僕のところへ来てもおかしくないはずの情報が、彼らのファンと同じタイミングで対外的に告知されそれを知る。

あれ?教えてくれてもいいのにな・・・が、いつの間にか
"僕の存在理由は何なのか?"に挿げ替わる。

そんな疑問も持ち始めたある頃、僕は偶然にも、とあるミュージシャンのマネージャーと話をする機会があった。
その方は自身の担当ミュージシャンのファンからスタートし、マネージャーまで勤め上げた立場の方で、初対面にも関わらず親身に話を聞いてくれた。

その人の言葉では

「私たちは彼らをいい方向へ導くことしかできない。扉を開くのは彼らなんだ。」
「もし扉を開くことを拒んだら?」

「それは私たちの手を離れる時だ。私たちは彼をいい方向へ導こうとしている。進むべき方向へ進めないのは何か理由があるかもしれない。 それでも彼らが前に進むことを拒むのなら…私たちには何もすることは出来ない。」

それを聞いて、僕は咄嗟に動き出し彩シリーズに次ぐ新しいシングルを作ろうという企画を自ら提案したのであった。

新しい音をファンに提供し続けたい、共有したい。
それは、ファンである僕らも彼も誰しもが望んでいることだと信じていた。

おこがましくも1番のファンであり続けることで、僕が彼を導ける可能性があるのならば、
きっと彼は自ら"扉"を開け前に進むはずだ。

そんな僕の不安げな一言を遮るように彼はまたクシャっと笑っていうのだ。
「よし、やろう」2つ返事のOKが出た。

この扉は開け放たれ、進むべき方向が明確に決まったのだ。

制作期間は短かったように思う。

それでも、これまでの苦楽を共にした僕たちに制作時間のハードル等は問題ではなかった。

この頃から僕らの関係は、仕事仲間からお互いの良き理解者へと変わっていた。

2011年7月16日 「SAMURAI SOUL/ From Far East」リリース。
奇しくも本シングルにカップリングされることになった「From Far East」は後の彼に大きな原動力となるのである。

Capter 7

「全国ツアーを回ります」
「本当に本当なの!?」

撮影中のカメラの前で僕は全力で突っ込んだ。

ある時には彼をバックアップし、ある時にはイエスマンになった。
しかし、ある時から僕は彼を導くことを目的としサポートし、いつしか彼の発する様々な「夢」を紡ぎだした。

彼のリップサービスのセーブも僕がある程度の静止を担当するようになり、彼は歌に集中し、僕はそのプロジェクトの管理を担うようになった。
経った数年で得た経験値は、ほかの何物でもなくそれまでの普通な僕を刺激し進化させた。

 

「今回のアルバムのタイトルはErectro.でいこうと思う」彼から語られるのはそのフレームであり、実体がないもののほうが多い。
おそらくこのErectro.プロジェクトで語られた部分はこのキーワードのみで、後はお互い様々なアイデアをパズルのように出し合い組み立てる。
大抵、僕が温めて出したものは敢え無く却下され、その時のイメージやインスピレーションから生まれたものは好まれた。

制作期間中は音源を正面から聞くことも少なくなった。

好きだ、嫌いだ、良い、悪い

彼の"どうだった?"に対し、贔屓目なしで実直な感想が伝えられ、受け入れられているのだろうか?
ただインスピレーションのままに制作指揮をとり敢えて音源を聞かないことを選択する場面もある。
歌詞の校正作業はほとんど気が知れたセンスがあるスタッフに丸投げする。

それでも、時にメディア越しに流れる彼の楽曲を聞いて少しだけ前向きになれる瞬間がある。

今までみたいに素直に好きだ。とは、照れくさくて言い難いこともある。
だけども、近くにいるからこそ彼に真摯に話をする。

次はこんなことがしたい。
僕はこう思う。

時には険悪なムードになっても、同じ方向に向かい歩いている。

僕は誰かを応援し、それを輝かせるための努力を。
彼は扉を開け、ファンと共に未来を切り開くための歌を。

僕らはまた新宿でそんな話をする。

2013年11月6日 「Erectro.」リリース。さまざまな進化の過程を経て、Erectro.が生まれる。それはプロジェクトの集大成でもあった。

 

そして、僕の"非日常"は今日もつづく...

Afterword

KOTANIKINYA.netをリニューアルオープンする際に、プロフィールはみんなが勝手知ったるMAD SOLDIERSによってラジ語りデビューをした云々よりも、Libraryの日本語版を一般公開して読めるようにしたほうが、いいと感じ加筆修正を加えながら制作しておりましたが、結局リニューアルから掲載までに半年ぐらいかかりました。
当初はライブラリまでの思い出話ではなく、Electro以降の2015-2016年と進化しつづける彼のエピソードを盛り込む予定も、結局ライブラリ制作までになってみたり、加筆や再校正で元の文章こんなんだっけ?というぐらいに変更されてます。
※原作(英語版)はLibrary CDのジャケット内に掲載されていますので是非。
本文に関していえば、当初コタニキンヤ.史のようなものを歌詞カードに盛り込みたいと、半ば2日ぐらいで書き上げたシナリオに、キンヤ.さんは二つ返事でOKをくれそこからの加筆修正でしたが、
Libraryのレコ発・ファンクラブミーティングを秋葉原でやった時に、近くでお仕事をされていた 巧さんがイベントに遊びに来た際にキンヤさんから巧さんへ直々にLibraryを手渡し、
「はい、このQRを読み込むとBL小説が読めるよw」と当初この原作の日本語版が読める特典カードを渡していたことが印象的でw 書いた本人はさほど意識してなかったにせよ、違った角度で見ればBLなのかもなと若干反省もしました。
改めて再編してもBL要素は払拭できず、何となくこっぱずかしい思いをしながら今日を迎えます。ああ文才が欲しい。

さてライブラリ制作にあたっては、当初、自身の楽曲たちをリマスタリングした音源をアルバムとしてリリースしたいというコタニキンヤ.からの要望がありました。

僕はそれを一旦、反対しました。Electro.発売から日も浅くこのタイミングでベスト盤のリリースは、同じCDを何枚も買わせてしまうようで荷が重いだろうということが理由でした。
しかし、メキシコからスタートした海外オファーが多くあり、円盤主体でやってきたコタニキンヤ.プロジェクトの制作体制は、この時どうしても海外のお客さん向けにお勧めの一品を用意しておきたいという思いがあり、これを許諾し制作に取り掛かりました。

結果、このアルバムは当初見込んでいた海外からのお客さんだけではなく、コタニキンヤは知っているけどコタニキンヤ.は知らなかった。という人や、昨今ではEDKで久しぶりにキンヤ.を見た聞いた人からの反響をいただき、2007年からスタートしたコタニキンヤ.プロジェクトの中で一番息が長いアルバムになったと言えます。
特に、イベントの際にLibraryが今日もたくさん売れたよ~というと彼が「まじか!?」と言ってニッコリ笑うのが印象的で、製作側から見ても長く愛されるベスト盤を持てるというのはオリジナル版とは別の尺度で武器になったと言えます。

皆さんお気に入りの1曲はLibraryに入ってましたでしょうか?

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